2009年4月21日火曜日

“棄てても、棄てても・・・”

“棄てても、棄てても・・・”




棄てても、棄てても、まだあるよ、


貯めても、貯めても、もう無いよ、


集めて、集めて、消えて行く


欲っして、欲っして、苦しいよ、


世俗に染まった聖者にならず、


染まらぬフリを世俗でしても、


聖者のフリは聖者じゃないよ、


フリがフリだと気付かんだけよ、


世俗まみれに気付かんだけよ、


気付いて見ても偽りゃ同じ、


坊主の格好、坊主じゃないよ、


世俗まみれの坊主は世俗、


世俗が在るのは我の中、


煩悩だらけの坊主にならず、


煩悩棄てたい煩悩持たず、


托(あず)け托(あず)かり我を顧み、


世俗の俗に染まらず居れるか、


断って、滅して、棄てて行き、


後悔あるなら改めて、


自分の後悔偽らず、


恥じを恥じずに恥じを隠さず、


後悔したこと保たず居れるか、


忘れられぬは後悔あるから、


忘れてないのは誰の頭じゃ、


忘れぬ訳があるのが訳じゃ、


訳に囚われ訳見えず、


訳を持つこと訳なら見えぬ、


訳を放せぬ輩が愚痴り、


愚痴、愚痴、ぐち、ぐち、言うんじゃないよ、


愚痴てるうちは改められぬよ、


愚痴は子供の駄々と同じ、


大人になって愚痴を言うが、


子供の駄々と何ら変わらん、


駄々のこねかた巧みなだけよ、


大人になっても何らかわらん、


愚痴、愚痴、ぐち、ぐち、駄々こねて、


大人になっても駄々こねて、


駄々をこねるは只の甘えよ、


改められぬは只の甘えよ、


改められぬがその訳よ、


改められるは我のみよ、


何を恐れて居るものか、


自我を棄てれば楽なものよ、


利己が出なきゃあ楽なものよ、


恐れを恐れず、恐れを隠さず、


恐れず棄てれば良いものよ、


恐る恐る棄てても良いよ、


棄ても、棄ても心配ないよ、


棄てても、棄てても我が身は消えず、


棄てる言い訳ほしいなら、


お天道様に托(あずけ)りゃ良いよ、


托鉢が有るのはその為よ、


賽銭あるのはその為よ、


鉢に托(あずけ)りゃ棄てられる、


托(あずか)る方も棄てられる、


賽(むくいる)ために銭すてて、


銭の意味も棄ててゆき、


全てに賽(むくいて)棄てて行く、


棄てて、棄てて、棄てられる、


棄てれば我が身も軽くなり、


棄てれば心も軽くなり、


棄てても、棄てても

我消えず、


棄てても、棄てても、まだ居るよ、


棄てたら、棄てたで何も変わらず、


ならば何を迷っていたのか、


自から呪縛を作って迷うか、


自分で自分を呪い縛り、


縛り動けぬ理由は我よ、


そこへ入ると煩悩つくるぞ、


煩悩つくりて行き場をなくし、


煩悩去るのに煩悩作り、


更に棄てれぬ自分を作り、


更に自分で自分を縛り、


自分で自分に囚われ縛り、


抜けれぬ道へ迷い込む、


抜けれぬ訳は我の中のみ、


お天道様はいつでも居るよ、


いつも抜け道くれてるよ、


仮に抜け道をもらっても、


変わるの嫌だと愚痴こぼし、


変わらぬことに文句言い、


変わればそれで文句い、


子供の駄々と未だ変わらず、


子供の方がまだましよ、


素直な駄々ならまだましよ、


自分の都合が無い分ましよ、


巧みな駄々はめんどうよ、


巧く駄々こね愚痴となり、


駄々をこねて自ら苦しみ、


自分の都合で自ら苦しめ、


我の煩悩、我を苦しめ、


自分で抜けなきゃ抜けられないよ、


いくら周りが助けてくれても、


最後はやっぱり自分だよ、


最初の囚われ自分だよ、


お天道様に力を借りて、


過去の自分を改められるか、


新な自分に出会えるものか、


お天道様が試しているよ、


自ら自分で選ぶ道、


棄てたら、棄てたで楽なものよ、


道中身軽が良きものよ、


道の真ん中身軽に進み、


身軽に進めば楽なものよ、


極めて楽な旅路だよ、


我心と我身があるだけよ、





英稔